海ゴミの回収2014年10月22日 10時36分58秒

県の漁業監視船に乗船し、現場海域に向かう
わが県は山あり海ありで県土は小さいが、海域は広いのを実感する。

山形へ2014年10月11日 14時15分36秒

大宮駅に到着
今、懐かしい東北新幹線に乗っている。全国育樹祭に議長の代理で出席するためです。高崎、東京を何回通ったことか?大宮までは同じ線だ。見慣れた風景が車窓を過ぎて行く。

ブログ更新2014年10月09日 16時04分52秒

本日、県議会の一般質問一日目が終わった。今回は質問がないので拍子抜け議会である。いつもの緊張感がない。慣れとはいえ質問があると不正確なことは言えないので調べたりして、勉強になる。

さて、今回なぜブログを書く気になったか? 先日ある会でこのブログをウオッチしている人に会ったからだ。
更新を催促され、暇がないといったところ、気楽に書けばといわれた。
そうだなと思うもう。そして書くことになった。

議会での色々な議員の発言を聞いていると漫才より面白い。時代認識というか錯誤というか? そして思わず笑ってしまう。 本人が大真面目だから余計だ。

今日は産経新聞の韓国支局長の起訴があった。ご本人や関係者には全くお気の毒だ。韓国が一流国家でないと沈没船事故対応で政府に怒った韓国の民衆ではあるが、今回はどういう反応を示すのか?

言論の自由は民主主義の基本中の基本だ。なん流国家かどうかは自分たちが決めるものだ。 世界中で笑い者にならないよう隣国の心配をしてあげよう

こんなことを書くと韓国の検察に起訴されるかも? 韓国には行かないぞ! 

なにしろ日本語で書いた日本人へのネット記事が問題になるのだから笑い事ではない。

議会で発言、集団的自衛権閣議決定について2014年07月25日 10時42分28秒

平成26年6月議会一般質問の冒頭私見  7月9日

議会壇上での発言

まず最初に申し上げます。戦争は絶対ダメです。

ロシアのクリミア併合、今も続くウクライナ、シリア、イラクの内戦、中国でのテロの頻発、南シナ海での領有権争い、尖閣問題、東西冷戦が終わり平和な日々が訪れると思われた世界も、第一次世界大戦の引き金となったサラエボ事件から6月28日で100年、当時と変わらぬ様相を呈しています。
そのような世界情勢のなかで我々日本人はなんと平和な議論をしていることかと世界は思っているでしょう。
日本国憲法という外来の憲法に戦争放棄の9条があり、そのまま読めば自国の防衛も出来ないという条文を後生大事にし、いわゆる護憲、革新、なんで革新なのか、守旧が正しいと思うが突き詰めると非武装中立を信奉していた勢力が国の自衛権の解釈をめぐって「戦争に巻き込まれる」という脅し文句で国民を扇動しています。
誰も戦争を望む人間はいません。絶対に戦争はダメです。平和のためにどうするかです
「戦争はしません。しかし、侵略されれば国民が一丸となって戦いますよという国」と「侵略されても抵抗しませんという国」どちらが侵略意思のある国にとっては攻める誘惑を起こしやすいでしょうか?
ギリシア哲学の権威で京大名誉教授、文化勲章受章者である田中美知太郎が「憲法に平和を唱えてさえいれば戦争が来ないというなら、地震や台風も来ないでくれと憲法に書けばよろしい」と皮肉ったそうです。

さて、安倍内閣の集団的自衛権行使を限定容認する憲法解釈見直しについて触れなければならないと思います

この問題に関しては報道機関によって評価が正反対に割れました。一つの新聞だけを読んでいるとだまされます。反対は 朝日新聞、毎日新聞、共同通信、四国新聞、赤旗などです。賛成は産経新聞、読売新聞などです。
また、政党の反応でいえば野党は賛否が分かれています。また、海外はどうかと言えば、中国は反対、韓国は慎重から反対、それ以外の国は米国、フリッピン、オーストラリアをはじめほとんどが評価や理解をしています。それは国家として当たり前の権利、自衛権の問題だからでしょう。

そこで閣議決定の全文を読みました。そこで感じたのは非常に丁寧です。多分、公明党との協議の結果と思いますが、慎重な言い回し、特に武力行使や自衛隊派遣など慎重な扱いとなっています。全てが受動的な論理になっています。結果としてほとんど現状の不合理な取り扱いを現実に合わせただけのように感じました。

一部のマスコミなどが「戦争する国へ」とか「戦争が起こる」とか、「海外での武力行使に道」「戦争に巻き込まれる」とか情緒的な扇動を行っています。

いったいこの集団的自衛権行使を限定容認する憲法解釈見直の閣議決定からどうしてそうことになるのか、本当に読んでいるのかと、不思議です。「徴兵制が近づく」などに至っては言語道断、風が吹くと桶屋が儲かる式の論理です。極端な誇大妄想の話です。
まず「戦争をする国になる」という主張はもう古い古い考えであります。戦後直後自衛戦争さえ否定した時期ならまだしも、自衛隊創隊の昭和29年から解釈を変更し憲法上も自衛のための武力行使は認めています。日本は自衛のための武力行使はする国です。国ならば当たり前です。

 次に「海外で武力行使に道」という新聞見出しがありました。これも違います。海外での武力行使はしません。まず自衛隊が海外へ行く場合は国連の安保理決議により国際社会が一致団結して行う国連の平和維持活動PKO、国際協力や邦人救出や武力の行使に当たらない後方支援活動です。該当国の同意は勿論のことです。その場合の武器の使用は警察比例の原則、難しい言葉ですが、要は、警察の例にならった抑制的な武器使用に制限するということです。派遣場所は現に戦闘行為が行われていない地域で、そこが戦闘行為の現場になったときは支援活動を中止するとなっています。

「他国の戦争に巻き込まれる」という話があります。集団的自衛権の問題です。
この問題をどう書いてあるか
我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、これを排除し、我が国の存立を全うし国民を守るために他に適当な手段がないときに、必要最小限の実力を行使することは、従来の政府見解の基本的な論理に基づく自衛のための措置として憲法上容認されると考えるべきあると判断するに至った。
あくまでも我が国が危なくなった時であり、他国の安全とは書いておりません。あくまでも我が国が中心です。この場合国際法上は集団的自衛権とみえるが憲法解釈上は個別自衛権として整理しています。そして、いずれの場合も自衛隊に出動を命じるときは事前に国会の承認を求めるとしています。まさにシビリアンコントロールです。

また、集団的自衛権限定容認は拙速という意見もありますがこれも嘘です。もう何十年も問題になっています。一つの例で言えば日米安保条約上、日本が攻撃されれば米国に防衛義務がありますが日本救援の米軍が攻撃されても日本に防衛義務はありません。
米国には日本は安全保障ただ乗り論があり、片務的な日米安保は必要がないという意見もあります。

自国の防衛を他国に任すのは独立国ではありません。しかし、悲しいかな、沖縄県の尖閣諸島問題の時、我々は誰を頼りにしたのでしょうか?米国を頼りにしたのではありませんか
国と国の関係は時代と共に変わります。日米同盟の弱体化を謀るあからさまな、習近平政権の挑戦を受けています。我々は日英同盟の破棄から大東亜戦争(敢えて言います)に至った歴史を忘れてはなりません。
今日の世界では一国で安全保障を全うできる国は殆どありません。従って共同で脅威に対処するしか有りません。いま日本には差し迫った脅威があります。侵略されても反撃しませんという微(かす)かなサインをも出すことこそが戦争の誘発になると認識しなければならないと思います。

今後は法案を作り、国会で審議し、成立させなければ何もなりません。今はやっとスタートです。一日も早い法整備を望みます。
敢えて申し上げます。是非閣議決定の文章を読んでほしいと。
誰でも理屈では戦争は悪だとは分かっています、しかし、いまだに戦争が絶えません。どうしてでしょか。戦争は理屈では無いからでしょう。

議会で質問しました2013年12月31日 22時48分33秒

12月13日県議会において通算22回目の一般質問をさせて頂きました。
いつもながら冒頭の前文が今の社会風潮に対する私の考えです。ご一読いただければ幸甚です。知事への質問部分は短くまとめました。なお、特定秘密保護法部分は私の登壇前に社民、共産の議員が発言したため急きょその場で発言したものです。

 

 一般質問  

それでは、質問をさせていただきます。その前に、知事からも今、特定秘密保護法の話がございました。
特定秘密法の問題これは、非常に大きな誤解があると思っております。
そもそも、特定秘密というのは、政府が持っている秘密、いわば政府の金庫の中の奥の奥にある秘密をどうするかということなのであって、これを扱うことができるのは、もちろん公務員、ほとんど公務員を対象にしているわけでございますね。だから、この法律の建前というのは、ほとんど公務員を建前にしており、一般の人というのは、ほとんど想定はしておりません。
また、その秘密の範囲というのは、先ほども知事からもるる説明がありましたように、漏洩が国の安全に著しい支障を与えるという情報でございまして、ほとんどの場合はないです。具体的に言えば、防衛とか外交とかスパイとかテロとか、そういうものが当たるわけでございまして、テロリストか、スパイならあり得ますが、民間人あるいは普通の役人がこれらの秘密を持つことはあり得ないことを特定秘密といっている。まず、ここの前提が違うわけです。
例えば、尖閣の中国漁船衝突の映像は、これは秘密ではありません。だから、こういうことを秘密にしたら罰則をしようという法律を作ったわけですね。それが、なぜいけないのか。
先ほど、あなたから戦前の例がありました。その時の新聞というのは、一体どうだったんですか。今回の反対している新聞というのは、戦争へ戦争へと煽ったんじゃないですか。そういう状況下であったので、あなたがそれを言うのだったら、そういう新聞の状況も、ぜひ言わなきゃいけないと私は思います。
この法律を読みますと、基本的人権とか、知る権利とか、報道の自由とか、そういうものは条文の中に書いています。だから、そういう意味では、非常にそういうことに関しては、配慮をしている法律だと思います。ただし、根本が、まず違いますから、秘密ということの。
私は思います。無いことを証明するというのはものすごく難しい。もともと無いのですから、幾らでも扇動ができますよ。例えば、サンフランシスコ講和条約。全面講和か、単独講和か。それから、安保改定、国連PKO、皆さん反対しました。それから、防衛省昇格に反対した。「戦争が来る、子供たちを戦場に送るな」、こういう話をやりましたけれども、結局、今どうですか。そんなこと、なってないじゃないですか。
風が吹くと桶屋が儲かる式の説明をして、国民をだますのはやめていただきたい。またもし、そういうことがあったら、それをチェックするのが議員の役目ではないですか。だから、議員の役目を放置してはいけないと、私は思うのであります。
さて質問にはいります。
さて、最近、旧約聖書物語を読みました。私はキリスト教徒ではありません。
ご存じのようにアダムとイブから始まる物語です。ほとんどのキリスト教徒の欧米人はこれを習っており、常識と考えた方が良いと思います。また、ノア、モーゼ、ソロモン、ダビデ、など映画やオペラ、絵画の題材に出てくる名前はこの旧約聖書の中の登場人物です。
そして旧約聖書はユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖典でもあります。これら3つの宗教は言ってみれば親戚の宗教です。 
そこにあるのは民族の歴史、部族の歴史、何世代もの栄枯盛衰の物語、あらゆる葛藤、物欲、性欲 怒り、憎しみ、嫉妬など人間くさい物語であり、決して教訓めいたことはありませんが、その歴史を通じての暗示や啓示が人間の本姓の中に語られている物語だと思います。一時代の一地方の歴史ではありますがその具体的歴史性により、鏡に映る自分自身や私たちの生きるこの現代を見せつけられるような気になります。
また、内心の何かの呼びかけを聞いたり、困難に出会ったり、暗中模索したり、戦いや飢餓などに国全体がまきこまれたり、人に裏切られたり、旅に出たり、新しい友を得たり、結婚をしたり死別したり、町や村をつくろうとしたり、狩りや漁にでかけたり、がっかりしたり成功したりと、とどのつまり古代も現代もなく、人間の出会う歴史は似たり寄ったりのものである。人間の内面の動きもまた然り、約束をした瞬間からそれを破る弱さや身勝手さ。勇気を以て未知と独立に向かうよりは慣れ親しんだ惰性や隷属に生きようとする怠惰心。過去の出来事や行動に照らして今と未来を判断することを敢えてしない愚。今起こりつつある社会の出来事の核心は何かをとらえようとせず右往左往してしまう「自信のない心」。信ずるよりは疑心暗鬼に動かされ羨望(せんぼう)、嫉妬のほのめかしに乗じられてしまう弱さ。それにも拘わらず見失いつづける理想や光を追い続ける人間の心。朽ちざる永遠の何ものかにあこがれずにいられない内心の求め。愛を求め、善を探し、平和を求め、人生の謎を考えずにはいられない人間精神。迷いながらも手探りに歩みつづけようとする人間存在。なぜ苦しみや痛みや悲哀や別離がこの世にあるのかという有史来の人間の問。生と死とは何なのかとの永遠の問を投げかけている。と解説されています。
話はそれますが、最初の預言者アブラハムが嫡子(ちゃくし)イサクを授かったにはアブラハム100歳、妻サライ90歳のときであり、先のノアは500歳で子を授かる。という話が出てきます。思い出すのは高校時代、古事記や日本書紀はデタラメだ、何故なら神武天皇130歳、仁徳天皇140歳など歴代天皇で100歳以上が多数存在するからだと教えられたのを覚えています。その教師をして日本の神話を否定したGHQ、占領軍が自分たちの神話は尊重するというダブルスタンダードの矛盾を抱えておりました。
最近、世代間ギャップというか、従来では考えられないような事件が発生しております。詰まる所、この問題は道徳や宗教、哲学の問題にも絡んでいます。また、これらは結局、とどのつまり、原因は道徳教育にあると思います。
今、文部科学省の有識者会議がその道徳教育を教科にしようという答申が出されました。が、それに反対する人々もいるようです。
私は道徳は人間が長い歴史の中で伝統や文化として培ってきた知恵がつまった宝物であると思います。多種多様な人間が集まった社会にあって、夫々がいかにこの世の中をお互いに快適に過ごすかの知恵でもあります。
通信や移動の自由はかってないほどの手軽さや広がりを持ち、経済のグローバル化やマネーのボーダレス化も進んでおります。
しかし、われわれは人間として本当に進歩したのか?我々はどう生きるべきか?は永遠の命題で過去から人間が問いかけてきた命題であります。
ただ解かっていることは、どうも人間は自由勝手に放置すると頽廃(たいはい)するようです。
だから戒律や格言で警鐘、その例でいえば「ノアの箱舟の話」では洪水で堕落した人間社会のリセットを神が命じるという警鐘を鳴らしましたが、常にそれを教えて堕落を食い止めてきたのが歴史であり、その繰り返しであったのだと思うのであります。戒律といえばモーゼの十戒が有名です。出エジプトの後、シナイ山でモーゼが神から授けられたもので、「主が唯一の神である、偶像崇拝の禁止、神の名をみだりに取り上げてはならない、安息日を守ること、父母を敬うこと、殺人をしてはいけない、姦淫をしてはならない、盗んではならない、偽証してはいけない、隣人の家をむさぼってはいけない」。
逆に言えば3000年前、このような行いが横行していたと想像されます。人間の業とは今も昔も変わらないということだと思います。
そして近代の我が国でも同じような教え、モーゼの十戒から宗教的要素をぬいたような教えがありました。曰く、「子は親に孝養を尽くし、兄弟・姉妹は互いに力を合わせて助け合い、夫婦は仲睦まじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じ合い、そして自分の言動を慎み、全ての人々に愛の手を差し伸べ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格を磨き、さらに進んで、社会公共のために貢献し、法律や、秩序を守ることは勿論のこと、非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕しなければならない」ということでした。1890年、明治天皇の教育勅語です。
一体どこに問題があるのでしょうか、こういう教えを否定した教育、戦前の考えが全て悪だとする価値観の刷り込みの結果が今日の社会の乱れの元凶(げんきょう)であると思うのであります。

さて質問に入ります。

 質問の第1点目は、全国育樹祭について。
 知事答弁:平成29年度誘致を表明しました。来年夏の主催者の公益社団法人国土緑化推進機構の理事会までに開催の申請を行います。
質問の第2点目は、金刀比羅宮を生かした観光の推進について。
知事答弁:国内外の事例も含め町や関係者の意見を伺いながら研究いたします。

質問の第3点目は、さぬき浜街道の整備について。
知事答弁:西白方から見立の多度津西工区は弘田川とJR予讃線の高架橋の来年度完成を予定しておりその後トンネル工事に着手できるよう必要な調査を進めます。
質問の第4点目は、学校における保護者対応について。
教育長答弁:弁護士などの相談費用を負担、研修や資料作成などおこない学校が適切に対応できるよう支援し地町村教育委員会とも連携しながら取り組みます。

質問の第5点目は、県職員給与の来春からの取扱いについて。
 知事答弁:地方公務員法並びに国他の地方自治体、民間事業の従事者などの事情を考慮し適切に定めます。
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