戦没者慰霊祭2012年08月02日 15時40分54秒

県庁で慰霊祭があった。その間に考えた。
戦争が終わって67年。その実体験を覚えている方は当時10歳として今は77歳。当時20歳とすれば87歳。
厚労省発表によると2011年の日本人の平均寿命は男女とも前の年よりも下がり、男性が79.44歳、女性が85.9歳になったそうだ。
とすれば戦争の記憶が遠ざかるのも頷ける。
戦争はよくない。当たり前だ。なぜそのような愚行に我々の親、お爺さん世代は突っ込んで行ったのだろうか?
毎年、8月15日にむけてマスコミで反戦企画が始まる。
悲惨さを取り上げるだけでなく、前に向かって進む企画(どうすれば戦争は無くなるか)を取り上げてほしいものだ。

原爆と原発2012年08月05日 22時40分30秒

原爆の日は明日、原子力が最初に使われたのが爆弾とは悲しい。

フグは猛毒を持っている。誰が最初に食べたのか、よほど勇気のある人だろう。 貝塚からフグの骨が多数発見されており縄文時代から食されていたようだ。

福沢諭吉の「学問のすすめ」に、人として生まれてきたからには人類のためになることをせよと教えている。

もし先達の誰かがそういう努力をしていなければ、我々はいまだに竪穴住居で獣の皮の服で過ごしているだろうと。

さて、原発、発電までの技術開発は進んでいるが、廃炉、放射能の無害化などはまだできていない。未完成のシステムだ。

政治は未来の目標を人々に示す責務がある。廃炉、放射能の無害化の研究を国家プロジョクトとし、世界の叡智を集める研究所の建設といった人類社会に貢献するとしてはどうだろうか

そうでなくても中国では今後原発の建設計画が目白押しと聞く。危ない危ない。黄砂の時期ともなると空は黄色くなる、一衣帯水の国というのがよくわかる。

老いては子に従え2012年08月16日 16時55分47秒

昨日 近くの山、飯野山に登った。帰省中の息子に誘われて登った。 高さ421m、登る距離約2100m。
本当にしんどかった。
途中から健脚の息子の配慮で先頭を歩いたが、休み休みで一時間以上かかった。体力の差を感じる。
昨日に味を占めて息子は今日も飯野山に登り、30分で制覇したらしい。
でも昨日の久しぶりの大汗は疲労感と清々しさをもたらしてくれた。
そして、
体力だけが絶対ではないが、世代交代とはこういう事かとも思った。





親父のことば2012年08月17日 22時15分26秒

最近の竹島、尖閣と度々の日本人の自尊心を傷つける事件が起こった。
事件の詳細は省くが、天皇陛下に関する発言は到底容認できない。ほとんどの日本人をバカにしたようなものだ。
これも国力の低下が招いたものだろう。国際政治では隙を作った方が負け、甘えや待ったは通用しないというこどだろう。
思い出すのは 幼いころ父親が語った言葉だ。
単純な言葉だった。
明治に生まれ、大正、昭和と生き、戦争にも行き、敗戦を経験し、食糧難の日々を経験したのち戦後の復興も体験した市井の人間の言葉だ。
「国の政治が安定しないと国民は不幸になる」と幼い私に何時か、つぶやいたことがあった。
その時は若気の至りで「安定なんて?」と反発した記憶があるが、この20年の政治の不安定を経験するにつけ、その言葉は正しかったと思う。
票と資金に苦労したくない若手政治家達がはじめた政治改革。それから20年、その彼らが既成となった今、政治不信は加速した。理想は一体どうしたのだ。政権交代がなんぼのもんだったんやと叫びたくなる。

竹島問題2012年08月24日 22時26分22秒

今日一日、竹島・尖閣問題で衆議院の決議や野田首相の発言、があった。野田首相は従来より踏み込んだように思う。
その原因は韓国の李明博大統領の天皇陛下に対する言葉使いにもあるようだ。韓国語のすこし解る人に聞いたが、普通は天皇陛下には敬語を使うべきだが使っていないそうだ。
そういうことが野田さんをエキサイトさせたのかも知れない。終戦時 いかに日本人が天皇制度の存続に苦心したかを外国は勉強して欲しい
戦後67年も経っている。歴史認識の呪縛を抜け出し、未来思考にならないといけない。
こう言うとお前は殴られた者の辛さがわからないのだと言われる。
そう、戦後生まれで、「李承晩ラインで漁船が拿捕された」というニュースは知っていて「いつも日本は被害者」という時代に育ったのでわからないです。戦前のことは知らないし、まして韓国の人がよく話に出す豊田秀吉の時代のことまでは知らないし、謝れません。
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