瀬戸内芸術祭2013 秋2013年10月21日 22時14分01秒

瀬戸内海で現代アートの芸術祭が我が香川県を中心に開かれている。
私も地元の人間としてこのお祭りに協力しようと、チャーター船を手配し人を募り、3島巡りのツアーを4日間行った。
お天気にも恵まれ、評判は上々のようで、募集人員を上回る申込みがあり、お断りする人が出た。何しろ相手は海、船は限られ、断腸の思いで謝るしかなかった。
11月の4日まで芸術祭は続く、作品は色々あるが私は高見島の作品が好きだ。特に”うつりかわりの家”は家全体、天井、壁に穴を開けそこに光取りのパイプをさし、幻想的な空間を作った作品で、この発想力に感心した。是非体験することを強くお勧めいたします。百聞は一見にしかず、体験しないとわかりません。


うつりかわりの家の内部、太陽の角度により光の束が変化する

除虫菊の家 蚊取り線香の団子が毎日火をつけられ灰のなっていく、手前が灰になった部分、さすが

に蚊はいない、聞けば蜂も駆除したとのこと






県議会で自民党の代表質問する2013年09月22日 20時18分09秒

代表質問の前文、個人意見部分を抜粋 平成25年9月17日


香川県議会において以下の質問を行った。 
                    

まずは昨日の台風被害に遭われた皆様に深甚なるお見舞いを申し上げます。

私は、ただいまから、午前中の香川議員に引き続きまして、香川県議会自由民主党議員会を代表して、当面する県政の諸課題について、知事、教育長、並びに警察本部長に質問いたします。

質問に先立ちまして、一言申し述べたいと思います。

ベルリンの壁崩壊、東西ドイツの統一によって東西冷戦は終結後し、世界に平和な日々が訪れると思われた。しかし、冷戦によって隠されていた宗教や民族の対立などで内戦が起こっています。

また、一昨年、チュニジアで始まったジャスミン革命、それに続くシリアの内戦、ごく最近のエジプト軍の事実上のクーデターなど色々と考えさせられます。

これは詰まるところ、人が人を統治する正統性、人々がその統治あるいは支配を納得するがどうかの問題、統治の正統性の問題であると思います。

ドイツの政治学者、マックス・ウェーバーは、この正統性の類型を三つあげました。一、伝統的権威による支配、二、個人の資質によるカリスマ支配、三、制定法による合法的支配であります。また、人を従わせる力の内面的違いを言えば、権威は自発的に、権力は強制的に、人を従わせる力と言えます。

そういう意味で、民主主義の先進地、数多の戦乱を経て今日に至った西ヨーロッパの国々、イギリス、オランダ、デンマーク、スペイン、ノルウエー、ベルギー、スエーデン、これらは立憲君主制で国王が元首です。立憲君主制と民主主義、相容れないようですが、これらの国々では、政権が右になろうが左になろうが政情が安定しています。国の心棒の問題だと思います。

我が国も、天皇という「伝統と文化の象徴」を戴き、時の権力者といえども、その天皇の権威によって国を統治するという政治体制を執ってきました。あの信長、秀吉、家康といえども天皇を敬っていました。そこには、古今東西を問わず、人間の持つ根本的な問題があるのだと思います。そういう意味で先の大戦で、敗戦にも拘わらず、当時の人々が残そうとした天皇制という「国の心棒」の大切さの意味がこの歳になってわかります。

さて憲法について、我が自民党は、結党以来、改憲を主張しております。

その思いを込めた歌をご紹介したいと思います。

 昭和三十年『憲法改正の歌』 作詞 中曾根康弘

一、嗚呼戦に打ち破れ  敵の軍隊進駐す 

平和民主の名の下に  占領憲法強制し 

祖国の解体を計りたり  時は終戦六ヶ月
二、占領軍は命令す  もしこの憲法用いずば  

天皇の地位うけあはず  涙を呑んで国民は 

国の前途を憂ひつつ  マック憲法迎えたり
三、十年の時は永くして  自由は今や還りたり 

我が憲法を打ち立てて  国の礎築くべき 

歴史の(せめ)を果さんと  決意は胸に満ち満てり
四、国を愛する真心と  自ら立てて守るべき 

自由と民主平和をば  我が憲法に刻むべし 

原子時代におくれざる  国の理想を刻まばや
五、この憲法のある限り

無条件権降伏続くなり  マック憲法守れとは

マ元帥の下僕(しもべ)なり  祖国の運命拓く者  

興国の意気に(こぞ)らばや

この歌には、占領下の国会議員を経験した人間としての気骨と気概が溢れています。憲法制定の過程が凝縮された歌です。

「憲法改正反対、アメリカの下僕のなるな」と言う人がいますが、とんでもない話で、現憲法は、占領下、言論は自由でなく検閲されていた時代に作られた出自の怪しいものです。それを守れとは、正に古いアメリカの下僕になれということです。

さて、日本語の「保守」と「革新」という言葉、憲法を改正しようというのが保守で、一字も変えるな、墨守しろというのが革新とは奇妙な話です。もう解釈改憲では限界に来ています。憲法九条問題は自衛隊を国軍とし、出来る事、出来ない事をはっきりさせることが重要であり、解釈改憲では、逆に有事の際、どこまでも歯止めがきかなくなる可能性があります。

現行憲法の問題点は九条だけでなく、例えば八十九条は 公金その他の公の財産は、云々・・又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。となっており、私学への助成もできないことになっています。

さて国際情勢について一言

シリア問題では、国連の安全保障理事会が注目を浴びています。そもそも論として、主権国家に対する攻撃がどうして安保理の許可で許されるのかという疑問がありますが、これは国連の創設は当時の連合国が戦後の世界を主導する目的で作られたためであり、その本質は戦勝国の集団的自衛権の最たるものであります。安保理が世界の警察を担い加盟国への脅威に対して、安保理の許可のもと武力制裁を認めるというものです。

そこで問題なのは、旧敵国条項であります。国連憲章第百七条では、国連の原加盟国は、日本をはじめ第二次世界大戦中に「連合国の敵国」だった国が、不穏な動きをみせたと判断した場合は、国連に諮ることなく、いつでも自由に軍事攻撃を加えてよいという条項です。仮に中国が、日本の侵略意図ありと判断すれば軍事行動を起こしてよいと言うことです。

中国が最近、ポツダムやカイロ宣言を持ち出し、盛んに「日本の戦後の国際秩序への挑戦」を持ち出す意図が見えます。危ないです。そういう意味でも、日米同盟は今後も重要な意味を持っていると思います。

さて最後に、国から強いられた給与削減問題

県が削減をにおわせた途端、これまで態度を決めかねていた県内市町も、右へ習えと次々に削減を表明しました。

知事は県のリーダー、我が県を牽引する使命を帯びた役職です。リーダーの条件は、「目測力」「説得力」「結合力」、そして「人間的魅力」と言われています。その自覚で、県を引っ張っていただきたいと思います。

 




知事に物申す2013年06月17日 23時29分55秒

最近、知事の政治姿勢に疑問を持つ、議会軽視、県民軽視とも思えるようなことが目につく
 今回の国からの給与削減要請問題で小役人的論理を用い、結論を引き延ばしているようだ。
要は目線が県民なのか、県庁職員なのかということだ。
国は給与削減を計算した上のお金しか交付しないといっており、このままだとそのしわ寄せは県民に来る。
そうなればできるはずの県民サービスを削らなければならない。
単純な話だ。負担を県民か、職員かということだ。
過去に県も努力したのはわかるが、国が給与を下げた今の時点ではラスパイレスは国より高い。
全国的にも渋々国に従っている県が多くなった。
香川県でも高松、観音寺、善通寺など削減する市も出てきた。
給与削減にどうも従わないのはいわゆる革新市長の丸亀市などになりそうだ。市民の負担をしいて何が革新市政か?
革新のメッキを剥ぐと職員優先かと思う。

議会で質問 3月15日(誕生日)2013年03月16日 16時52分05秒

昨日 議会で質問をしました。編集の時間がないので全文を掲載します。知事の回答は後日入力します。

平成25315日  一般質問     新田耕造

、まさに卒業式シーズン真っ只中であります。

卒業式は、厳かで、感動的な行事であります。

私も卒業式に出席いたしましたが、残念だったのは、卒業式で必ず歌われた「仰げば尊し」が、歌われなかったことであります。

教師、卒業生、在校生、保護者などのご挨拶では先生や両親など夫々への感謝の言葉や長く通った学校を去る寂しさ、友達や先生との別れ、また、新生活への期待や不安などがありました。これらはまさに「仰げば尊し」の歌詞の内容そのものでありました。内容が古いとか合わないのならまだしも、どうしてこんないい歌が歌われなくなったのか不思議であります。かつては親・子・孫の世代を超えて「仰げば尊し」は厳粛な気分にさせてくれたものでした。世代を超えたよい伝統は残してほしいと思った次第です。年末になると除夜の鐘が鳴り、新年を迎えたという気分になります。古いからと言って除夜の鐘を変えろとは誰も言わないのと同じで数世代が同じ共感を持てるものを昨日今日の歌に変える、そんな必要があったのか疑わしいと思うのであります。

 

さて先日、イタリアとイギリスを訪問いたしました。イタリアでは総選挙の直前で、街にはポスター、テレビでは討論会と選挙ムードでした。選挙結果はご存知のように上院は多数派がなく、下院は中道左派が勝利して政局が混迷しています。

イタリア統一は明治維新と同時代です。従って国民国家としての歴史よりは都市国家としての歴史が長いので地域主義的色彩が色濃く残っていると思いました。選挙制度は全国統一ではなく各州で独自の方法をとっている。これには先の歴史的な背景があるかも知れません。

次に議会制度の発祥の国、イギリスへ渡りました。ロンドンはかつて7つの海を支配した大英帝国の首都であり、人種の“るつぼ”です。お話を聞いた新聞社のロンドン支局長によれば「ロンドンに着任してバスに乗った、英語の話声が聞こえると思っていたらほとんど英語以外でした」と言ってました。また、同氏のお子さんは中学生ですが、イギリスの学校教育では演劇やディベートが一般的な課目のようです。議論を鍛える教育をしております。自立教育です。

次に、イギリス国教会の大本山カンタベリー大聖堂のあるカンタベリー市を訪問し、市の迎賓館で市長、副市長、議長、副議長らの出迎えを受けました。イギリスは日本と同じで議員内閣制の国ですが、地方も議員内閣制で、カンタベリー市長は議員の中から選出された方で、議会は直接執行権を持つ議員(内閣構成員)と評価する議員にわかれる制度になっています。言ってみれば日本の国会と政府与党の関係のようなものです。ただし、首長の選出方法は各地方に任されており、直接公選制も選択できますがイギリスのほとんどの地方自治体では議会から選出されたリーダが率いる内閣が政策決定を行う「リーダーと内閣制」が多数をしめています。

 今、道州制や地方分権が議論されています。今回、自らの文化と伝統に誇りを持つ社会、イタリア、イギリスを訪問し感じたことは、道州制や地方分権をいうならば、地方独自の首長選出方法や議会と行政の関係を認めても良いと思うのであります。本当の自治とはその統治システムを自らが決めることが最も大事であると思います。もちろん国やその他各自治体段階での仕事の重複を避け役割分担を決めるのは当然ですが、どうも日本は金太郎あめのように国で決めたら全国同じ制度というのが果たして本当に良いのかどうか疑問を持ったのであります。

 

さて読書の話です。福沢諭吉の「文明論の概略」を読みました。明治8年の著作です。当時、欧米が押し寄せ、このままでは植民地にされるという危機感があり、そのためには文明化が急務であった時代です。

福沢は、文明とは「衣食を豊かにして人格を高める」ことであり、身の安楽だけが文明ではない。人生の目的が衣食だけならアリやミツバチとかわらない。文明とは「向上しようとする状態のことであり、人間の知性と徳性の進歩のことである」、「文明がなければ人類はいまだに洞穴で裸で原始生活をしているだろう」と文明の本質を巧みに例示しております。

また文明には物と精神があり。物はすぐ追いつけるが精神は一朝一夕にはできない、日本が西欧に負けているの「文明の精神」であり、文明の精神とは国民の「気風」、一国の国民性であると、この気風の中身を福沢は国の独立の気風だと言っています。だからそれを高めなければならないと強調しております。そしてこれが、「心身の独立を全うし自から其身を尊重して人たるの品位を辱めざるもの、之を独立自尊の人と云う」という彼の教育理念にもなっています。

今読んでも現代に当てはまる箇所が数多くあります。特に中国の民情はこの時代と変わっていません。

人間とは?国情とは?百年では変わらないのだと思います。

江戸時代の鎖国という一国平和主義から脱して、いかにして明治の人々は東洋の小さな国をして世界に立ち向かっていったのか?

独立心をいえば右翼と文句を言う隣国に囲まれ、過去20年のチジミ志向の中でゆでガエル現象におちいった我々に指針を与えてくれます。さて質問に入ります。

質問の第1点目は、JA香川県の役割についてであります。

JA香川県については、このわずか10年ほどの間に、正組合員は1万7千人余りの減少、職員は約1千人の減少、販売品販売高は約75億円の減少、購買品供給髙は約400億円の減少、長期共済保有高は2兆円余の減少と、右肩下がりの燦々たる状況であります。

また、数多くの課題も抱えております。いくつか上げてみますと、まずは、農協事業において最も重要である営農事業について、その指導力に問題があることであります。農業を直接指導する営農指導員が減少し、米麦、野菜、果樹、畜産などの品目別営農指導が十分に行われているとは言えない状況にあります。

また、米の集荷・乾燥調製を行うカントリーエレベーターの再編統合が進んでいない問題があります。カントリエレベーター等のほとんどが整備・導入後、20年以上経過し老朽化が進み、その更新には莫大な経費を要するほか、米の消費量の減少などによって、その利用率が低下し、人件費も含めコスト高となるなど、運営が悪化しております。

さらに、各種資材の販売価格の問題があります。農業資材などについては、営利会社が、非営利団体であるJA香川県の価格よりも安く販売している場合も多くあり、組織の規模が生かされておらず、十分な経営努力もなされているとは思われません。

他にもまだまだありますが、最後にこれだけは言っておかなければなりません。それは何と言っても、貯金の着服事件など不祥事件の数々であります。相次ぐ不祥事件は、役職員の業務改善への取組が不十分であると言わざるを得ません。業務改善は、経営管理委員会で意思決定を行い実施するものでありますが、経営管理委員会の構成は、JA香川県のOBが半数近くを占め、組合員の幅広い意見が反映されにくくなっていると思います。「寡黙にJA香川を支えている大多数の組合員」、「ほとんどのまじめに働いている職員」、のためにも、役職員自らが不退転の決意を持って業務改善に取り組むべきであります。

以上、課題をいくつか指摘させていただきましたが、これらは、JA香川県にとって、基本的な問題であり、正面から向き合っていかなければならないものであります。私には、JA香川県が、制度疲労をおこし、時代の流れから置き去りにされていると思えます。60年以上も前にできた農業協同組合法という既得権益にしがみついているようであります。

JA香川県の再生には、時代認識を持って先を読む経営が必要であり、危機意識を持って立ち向かってもらいたいと思います。また、県は、そのために、経営を実質的に取り仕切っている経営管理委員一人ひとりに、聞取り調査を行い、指導をすべきであります。

そこで、県は、JA香川県に対して、どのような役割を求め、指導していくのか、知事に質問します。

 

質問の第2点目は、県内企業に対する支援についてであります。

私は、以前から、本県の産業振興のためには、本県の特性や風土を生かし、今ある元気な企業をどれだけより元気にできるかが重要だと言い続けております。

県外からの企業誘致も必要だとは思いますが、グローバル化した企業であればあるほど、その時々の社会情勢や経済状況などに非常に敏感であり、誘致はできたものの、結局、最終的には撤退してしまったということになりかねません。

それよりもむしろ、香川に根を生やしているような会社を元気付け、発展させるような施策に取り組んでいくことが大事なのではないでしょうか。

また、官と民の関係で苦言を申せば、上海事務所の設置はカントリーリスクのある国への県として商売の奨励であり如何ものかと思います。もう中国は民間の後押しを県がしなければならない国ではないと思います。親日的でまだサポートが必要な国や県内の工業団地に出先を出す方がよほど意味があると思います。

私は、県内企業の支援に当たっては、本県からの撤退を防止する観点から、一定の要件を満たす企業、例えば、県内に本社のある企業や、それに類するようなところに対しては、差別化・優遇化を図り、積極的に支援していくことも必要だと考えます。

どこまでを対象にするのか線引きが難しい面はあるかもしれませんが、今後ずっと本県で事業を継続していこうという企業は、県がしっかり応援しますというメッセージを発信することが大切だと思います。

そこで、県内企業の撤退を防ぐという観点から、どのような支援に取り組んでいくのか、知事に質問いたします。

また、県内企業の支援には、主に商工労働部が中心となって取り組んでいますが、具体的にどこに相談すればいいのか分かりにくいといった声もあり、ワンストップサービスという点において、ずばり県内企業支援課を置くなど改善の余地があると思います。

そこで、相談窓口的なセクションを設けることも含め、知事はどう考えているのか、併せて質問いたします。

 

質問の第3点目は、たくましい心を育てる教育についてであります。

先月、大阪府で小学5年生の男児が、小学校の統廃合を中止してほしいとの遺書を残して、駅のホームから快速電車に飛び込み、自殺するという痛ましい出来事が起こりました。

統廃合により、この男児の通う小学校は廃校となり、来年度から2つの学校に分かれて通うことになっていたそうで、それを嫌がっていたとのことであります。

大人から見れば、正直、何でこんなことでと残念に思いますが、視点を変えれば、こういう結果にならないような教育、言い換えれば広い視野に立って考えることができるような教育を受けてこなかったのかなとも思えるのであります。

また、先日の産経新聞のコラムでも、作家の曽野綾子氏が、「彼の受けた教育はあまりに視野の狭いものだった。人の生きる世には、ほとんどあらゆることがある。死別や別離など日常茶飯事だ。学校が用意されている。通える範囲に学校がある。そういうことさえ世界の中ではどれだけの幸福か、このことを解説してくれる人がいたら、この小学生は死なずに済んだろう。」と言っています。

私自身の経験でいえは、ベトナムで昼に帰宅の生徒たちがいるので質問したら「この子たちは早朝組で、昼まで授業し、午後からは同じ教室を別のクラスの生徒が使います」という説明でした。ベトナムでは教室が足らず、生徒を午前と午後に別け教室を二回転させています。

我々が今生活の中で享受しているモノやサービスのほとんどは、長い歴史の中で積み重ねられ、不断の努力により維持されたものであり、当たり前のものではありません。

曽野氏のことばを借りれば、「世界の広さ」というものを、教育の場において、教えることも必要であります。自分たちがどれだけ恵まれた環境の中にいるかということを、子供たちに自覚させなければいけないと思います。

そこで、このような悲劇が二度と起こらないよう、困難に負けない、たくましい心を持つ子どもを育てる教育にどう取り組んでいくのか、教育長に質問いたします。

 

質問の第4点目は、薬物乱用防止に関する教育についてであります。

先日、ライオンズクラブなどが主催する「薬物乱用防止教育認定講師養成講座」を受講する機会があり、改めて薬物乱用の恐ろしさを認識させられました。

よく知られてはいますが、麻薬や覚醒剤などの薬物は脳内物質のドーパミンを増やす効果があり、酩酊・多幸感などをもたらす一方、強力な依存性があり、やめたくてもやめられなくなります。また、徐々に薬物の効果が弱くなり、幻覚・幻聴などの症状が現われ、犯罪や自殺などの行為に走ってしまうことも少なくありません。

近年では、いわゆる脱法ハーブと呼ばれるものも出回り、中学生や高校生などをターゲットとする売人も存在するようであります。

また、外国では、シンガポールやマレーシアなど麻薬の所持だけでも死刑を含む重罪に科せられる国もあり、そういうことを知らずに海外旅行などで軽い気持ちで手を出してしまうと、とんでもない目に遭う恐れがあります。

このような社会状況の中にあっては、薬物に対する知識や恐ろしさを、子どものころから、発達段階に応じ、きちんと授業で教えていく必要があると思います。

平成20年に国が策定した「第三次薬物乱用防止五か年戦略」の中でも、学校等における薬物乱用防止のための指導・教育の充実がうたわれております。

そこで、本県においては、児童生徒への薬物乱用防止に関する教育について、どのように取り組んでいるのか、教育長に質問いたします。

 

質問の第5点目は、受動喫煙対策についてであります。

先日自民党の勉強会でこの問題を取り上げたところであります。

この問題は党派を超えて色々な意見があることは承知しております。JTの全国たばこ喫煙者率調査によると、平成24年の喫煙率は男性32.7%、女性10.4%でした。因みに喫煙率の最高は、昭和41年の男性83.7%、ほとんどが吸っていたということです。女性18.0%で、それからですと、男性は約50ポイントの減少です。

薬物乱用の恐ろしさ以上によく知られているのは、タバコが引き起こす害についてでしょう。人間の脳からすると、精神依存性という点において、タバコも薬物とほとんど同じと言っていいことが明らかになっています。加えて、タバコから出る煙には、中国の大気汚染問題で、最近よく耳にするようになった、PM2.5とよばれる微小粒子が含まれており、これが肺胞まで入り込み、炎症・動脈硬化・がん・気管支喘息などを引き起こすと言われております。

そして、それが本人だけの問題であればまだしも、受動喫煙によって、周りの人にも悪影響を及ぼすことが最大の問題であります。

最近行った台湾ではホテルの自室でも禁煙でした。また、ヨーロッパでも、例えばロンドンのパブでも禁煙でした。

受動喫煙対策という点において、日本は世界の潮流の中では遅れており、他の多くの先進国などでは、公共の建物内や敷地内での禁煙が法律等により義務付けられています。

ようやく、日本でも、平成22年4月に神奈川県で公共的施設での受動喫煙防止条例が施行され、また、他県でも同様の動きがあるなど、自治体レベルではありますが、徐々に受動喫煙防止に対する取組みが進んできております。

そこで、本県でも、県民の健康を守るため、受動喫煙を防ぐための条例の制定を検討すべきではないかと思いますが、知事はどう考えているのか、質問いたします。

また、一人ひとりがタバコの害に関する正しい知識を持つことが必要であります。そのためには、子どもの頃から、きちんと教えていかなければいけないと思いますが、教育長はどう考えているのか、併せて質問いたします。



イギリス1 カンタベリー2013年02月23日 23時24分30秒

イギリス、ロンドンから約80キロカンタベリ市を訪問した。

市長、副市長、議長、副議長など大歓迎をしていただいた。

イギリスは議院内閣制の国です。地方も大多数が同じように議員内閣制を選ぶ所が多いようでカンタベリー市も市長、副市長も議員から選ばれていました。

ロンドンは正に人種の“るつぼ”であり、ある意味では世界へのショーウインドー的要素が感じられましたが、カンタベリー市はさすがイギリス国教会の総本山、カンタベリー大聖堂がある土地柄ゆえ、紋章をはじめとした伝統を重んじる空気が今回お会いした方々から読み取れました。
 随時、思い出しては投稿しよう


カンタベリー市の迎賓館前で記念写真


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