議会で 10月3日 現下に思う2012年10月13日 16時05分05秒

10月3日議会での発言です。このあと6点の質問をしましたが、割愛します。全文はホームページにあります。

歴史は繰り返すと言われます。日本の明治維新の頃からの中国の歴史を振り返りますとアヘン戦争に始まり、太平天国の乱、義和団事件、孫文の辛亥革命、清朝の終焉、中華民国成立、各地での軍閥政治、一説によると1千万人の難民、500万人の餓死者、2000万人の死傷者といわれる国共内戦、中華人民共和国成立、などありました。
これらの統治の混乱は古くからの易姓革命思想すなわち「天子は天命により定まりその天子の徳がなくなると別の者に天命は移る」すこし乱暴な言い方になりますが「勝った者勝ち」、実力、武力さえあれば誰でも「天命が我に降りたといえば」トップなれるという易姓革命の考えにあるように思います。ここが我が国のように天皇という「伝統と文化の象徴」を戴き、時の権力者といえどもその権威によって国を統治するという国柄とは違うと思うのであります。
さて、最近の尖閣問題での反日の動きを見ていますと義和団事件を思い出します。1900年清朝末期、義和団は扶清滅洋(清を扶〔たす〕け洋を滅すべし)、を掲げ生活に苦しむ農民を集めて起こした排外運動で、各地で外国人やキリスト教会を襲いました。当時の最高権力者である西太后をはじめとする排外派も欧米列国の進出に苦々しく思っており、この反乱を黙認し、遂には清が欧米列国に宣戦布告し、国家間戦争となった事件です。
今、上海の高速道路は世界のスポーツカーの展示場といわれるほど高級車が溢れています、一方、大学を出ても就職口もなく、アリ族やねずみ族といわれる低所得者層が存在します。この民衆の鬱積した気持ちを外に向けさせ国内の不満のガス抜きをするという古典的政治手法が今回見えます。そうしないと貧富の格差、蔓延する汚職など中国共産党の統治の正当性が疑われかねないと危機感を感じているのでしょう、共産党の崩壊により「民族主義、民族自決」の火の手が上がり、ソ連邦の崩壊、ユーゴスラビアの解体などの先例を最も恐れているのでしょう。しかし、いずれ火の粉は自らにもかかるはずです。
さて、また読書の話です。今回は草原克豪(かつひで)著、(元文部官僚、拓大副学長、新渡戸研究者)「新渡戸稲造 1862-1933われ太平洋の橋とならん」を読みました。新渡戸稲造、昭和51(1981)年から平成16(2004)年まで5千円札の肖像に使われていました。夫人はアメリカ人であり、夫婦とも敬虔な平和主義のクエーカー教徒であります。彼は1862年、三代にわたり十和田の開拓を行った盛岡藩士新渡戸十次郎の三男として生まれ、札幌農学校に二期生として入学、同期生は内村鑑三などがいた。米国、ジョンズ・ホプキンズ大学、ドイツ、ボン大学、ベルリン大学に学び、札幌農学校教授、京都帝大教授、東京帝大教授、拓殖大学学監、国際連盟初代事務局次長7年、貴族院議員、女子教育へ関心も高く東京女子大学初代学長、津田梅子(津田塾大学創設者)、河井道(恵泉女学園創設者)らと親交が深く。国際連盟時代にはアインシュタイン、キューリー夫人とも親交がありました。
この本の「まえがき」で「1933年(昭和8年)カナダのバンフで民間の国際組織である太平洋問題調査会の第5回太平洋会議が開催された。日本代表団の団長を務めた新渡戸稲造は開会晩餐会において演説を行い「列強のブロック経済化が進んでいくと、そこから起こる紛争から人類にとっての大災害が引き起こされる」と述べ世界に警鐘を鳴らした。あたかもその後の第二次世界大戦を予言した様でした。彼こそ当時国内外でもっとも知名度の高い日本人であった。新渡戸といえば今日ではもっぱら英文の名著「武士道」の著者として知られています。だがそれは彼の多岐にわたる活動の一部にすぎません。大きく分ければ教育、植民学、国際理解・平和という三つの分野になり。戦前の日本を代表する第一級の教養人であり真の国際人でありました。
今日の我々は戦前の歴史をすべて日本が悪いという東京裁判史観で教えられてきました。しかし、現代の常識だけで過去を判断してはなりませんし、当時の人々の生き様や苦悩が理解できません。そこでこの本からこの戦前を代表する第一級の国際人がどんなことを考えていたのか、特に中国問題にしぼりご紹介したいと思います。念のためですが、彼は先の1933年10月バンフでの講演の直後逝去されております。平和を望んだ新渡戸の願いとは逆に、その後日本は戦争へと進んでいきました。
彼は満州事変の直後、1932年政府の依頼で対日感情の悪化を回避すべく、講演のため渡米しました。米国での講演旅行中、カリフォルニア大学で20回の講義を行っています。
その中で満州問題については、
一、支那大陸は無政府状態にあり清朝の崩壊後は国際法の通用する世界ではなくなっている。生命財産の安全すら守れない混沌とした状態で、略奪や挑発行為が頻発している。アメリカ人はこの点をよく理解していない。米国人は中国の宣伝に惑わされている。支那人は宣伝が最も得手であり日本人は最も不得手であり、中国人の事実を無視した宣伝の最たるものがいわゆる田中上奏文である。田中義一首相が天皇に上奏したとされる文章で、中国人による捏造文だが、執拗に国際連盟で持ち出して日本批判をした。中国は同じ主張を繰り返すことで日本の不当性を印象づける宣伝効果をねらった。
二、紛争の真因はさまざまな規約や規定の下に確立され、世界の全列強諸国が承認した日本の満州における条約権益を中国が否認しようとしているところにある。この試みを遂行するために中国人は、日本人居住者を困らせたり、日本人の事業を妨害したり、できることはなんでもやりたかった。攻撃をしかけたのは手におえない個人や集団であったかもしれないが、中国政府や国民党はそういう加害者たちを抑えようとはせず、扇動したりさえした、時には奨励したり援助を与えたりしている。日本人の住民の数が少ない町や村では彼らに対してあらゆる種類の侮辱と暴力が加えられている。直接行動をうまくかけられない場所では事実無根の非難の言葉をビラやポスターに書き連ね、正当な仕事に従事している日本人に反対するよう中国人民の狂気と暴力を煽り立てている。
また対華21か条の要求について「そのうちのいくつかは全く的を得たものであり、その中の最悪のものは要求として出されたのではなく交渉の基礎として提案されたものだったとし、たしかに中国にとっては不快なものだったし、日本においてさえ厳しい批判を受けた。これらは若い中国によって利用された。中国は国内で憤激の「大嵐をまき起し、アメリカの友好感情に訴えて、また無数の雇人を使って事態を実情以上に悪く見させた。一方で日中間の疎隔、他方で日米間の離間はきわめて完全な形で成就された」と講演しております。
今回この本を読んでつくづく感じるのは「歴史は繰り返す」ということです。80年前の日本人が感じた中国。いま我々が感じている中国。「国連での口汚い非難」「悪いのは日本」「尖閣は中国の固有領土」「沖縄は中国」などの発言やプラカード、何かどこかが似ています。これらの行為は日中両国民の愛国心に火をつけており、末恐ろしい気がいたします。我々は歴史に学び、不幸な戦争への道を歩んではなりません。力を付けた中国とはまず一国で当たるのではなく日米同盟を基軸とした仲間作りをしてこの難しい隣人と冷静に付き合っていかなければならないと確信するものであります。
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