私の気持ち2011年10月18日 22時48分10秒

すこし古くなるが、9月30日に一般質問をした。その、さびの部分を載せます。このままでは日本がどこに行くか不安であり、その漂流を止めるのかわれわれ世代という認識に立っている。


平成23年9月30日    一般質問    新田 耕造

最近一冊の本を読みました。藤原正彦氏の「日本人の誇り」という本であります。幕末から昭和の敗戦に至る歴史を徹底検証し、「個より公(おおやけ)、金より徳、競争より和」を重んじる日本人の精神性が戦後なぜ失なわれたのかについて書かれています。
その原因は日本の弱体化をねらったGHQの占領政策にあり、「公に奉仕するという美徳」を軍国主義だと決めつけ「公」よりなによりも「個」を尊重することが民主主義だという巧妙な洗脳で日本の社会の分裂、モラル低下、そして今日の教育の荒廃を招いたと書いています。私が小さい頃、親父から「アメリカは日本の家族制度を破壊した。由々しき事態だ」と聞かされました。今になりやっとその意味が分かります。
故江藤淳氏はその著書「閉ざされた言語空間」“占領軍の検閲と戦後日本”の中で言論検閲のことを詳しく述べております。本書は自身がワシントンに行き一次資料からQHQの検閲の実態を調べたものです。それによるとウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム、「戦争の罪悪感を日本人の心に植え付けるための宣伝計画」は日本進駐以前から周到に準備されていました。ポツダム宣言第十項が言論、宗教及び思想の自由を保障しているのに拘らず言論機関の検閲、民間人への検閲を隠蔽して行いつつ、その計画は実行されました。それは
1、昭和20年12月8日から12月17日まで毎日、戦争の真相を綴ったとされる「太平洋戦争史」が、全ての全国紙に掲載されました。歴史記述を装っていますが戦時中の対日宣伝ビラ担当者が執筆しました。後に教科書としても使用されました。
2、昭和20年12月9日から昭和23年1月まで、NHKラジオ放送で「真相はこうだ」や「真相箱」という番組を放送しました。内容は「軍国日本の犯罪と崩壊」そして民主主義の誕生を装う米軍の広報番組でありました。
3、昭和20年12月15日から大東亜戦争という呼称が一切禁止されました。これは単なる呼称の禁止ではなく、日本人の戦った戦争「大東亜戦争」はその存在と意義を抹殺され、米国人の戦った戦争、「太平洋戦争史観=勝者の歴史観」がはめ込まれました。これは単なる用語の入れ替えでなく、その戦争に託された一切の意味、戦争に至った経過、アジアの解放などの大義や価値観も入れ替えられてしまいました。広島、長崎の原爆投下、日本各地への無差別爆撃も正当化されるということです。 
4、極めつけが極東国際軍事裁判(東京裁判)です。平和に対する罪、人道に対する罪という事後に出来た法概念で起訴されました。A級戦犯28名が共同謀議をして1928年から1945年までの17年間、アジアを侵略し支配下に置くため満州事変、日中戦争、太平洋戦争を起こしたというのです。この間日本では16回も内閣が代わっています。ヒトラーは1933年から1945年の12年間首相でした。ニュルンベルグ裁判の図式をそのまま当てはめた手抜き工事の裁判が行われたようです。
日本は東京裁判など戦争犯罪法廷の判決を昭和26年のサンフランシスコ講和条約で受け入れたため独立以後も最後の戦犯の釈放は昭和33年12月でした。
また、この東京裁判で出てきたのが昨今、問題なっている南京大虐殺事件です。当時の南京人口20万人のところ30万人を虐殺したとの証言も飛び出しました。当時の犠牲者数の結論は中国人の主張30万と欧米人の主張3万の間をとって12万から20万でした。しかし、戦争に至る経過のなかで中国人による日本人の虐殺などは無視されました。
江藤淳氏は「閉ざされた言語空間」のあとがきで、「GHQは日本人のアイデンティティと自己の歴史に対する信頼をあらゆる手段で崩壊させるという執拗な継続的意図があった。これが日本の言論機関と教育体制に定着され、維持されるようになると占領が終了したのちも日本人のアイデンティティと歴史への信頼はいつまでも内部崩壊をつづける。また、同時にいつ何度でも国際的検閲の脅威にさらされる。」と結んでいます。
その後の教科書問題、あるいは最近の竹島、尖閣など、我が国の対応をまるで予感していたかのようであります。
昭和30年7月19日衆議院本会議での永山忠則氏の「戦争受刑者の即時釈放に関する決議案」(各派共同提出)を読むと当時の政治家の気骨が伝わってまいります。
「近代国家における裁判は、不変の真理を持って貫く正義が判断の基礎であってこそ、その権威を保持できる。従って、その正義は戦争の勝敗を超えて厳然として存在する。いやしくも戦勝国のみが正義の行使を独占することは不合理。敗戦国もまたその正義を行使する権利がある。原爆の使用に対し、世界の世論は明らかにこれを人道に対する反逆だ。戦勝国の一方的な戦争裁判なるものが果たして国際法理論上正当なものであるか疑問である。文明国の罪刑法定主義による裁判の神聖と人権の尊重の精神よりみてまことに遺憾だ」  云々、 今日の政治家とどこか違うと感じるのは私だけでしょうか
「士(おのこ)やも空しかるべき万代(よろずよ)に 語り継ぐべき名は立てずして」
「男子たるものが空しく終わってよいものか。万代に語り継がれるに足りる名前を立てずもせず」万葉集の山上憶良(やまのうえのおくら)の歌です。曾野綾子氏が最近の著書で原発事故収拾のために、自衛隊をはじめ多くの日本人の献身的な姿を見て自然に心に浮かんだのがこの歌だったそうです。人の生涯には「生きる美学」と「終わる美学」が要る。西欧キリスト教徒は聖書。我々日本人には万葉集のようだと言っています。
「広く会議を興し、万機公論に決すべし」明治元年の五箇条のご誓文の最初の一項です。「民主主義を採用されたのは明治天皇であって、日本の民主主義は決して輸入のものではない、五箇条のご誓文から導かれた」と昭和天皇がインタビューでお答えになっています。昭和52年です。
誤解のないように申し上げますが私は皇国史観論者でもないし、反米論者でもありません。ただの愛国者であります。

人間のおおきさ2011年10月28日 21時12分09秒

10月19日 自民党本部を訪問、谷垣総裁、大島副総裁、茂木政調会

長を県議団で訪問、今後の展望などを聞く。本部の人影も少なく、「や

はり、野党になったからだな」という声が上がり、すこし寂しくなる。

その後、中曽根先生を訪問。 運よくお会いできた。

今の日本の現状に悲観的観測を申し上げると「日本は大丈夫だよ。

もっと苦しい時もあった。こんな事で日本人は負けないよ」と一言。

その一言に 何か心が晴れ、希望が湧いてきた。

いつも思う。先生に会うと希望と勇気が湧いてくる。
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